2013年3月29日金曜日

轟亭の小人閑居日記馬場紘二

轟亭の小人閑居日記馬場紘二

グッチやエルメスの販売権を手にして大成功した茂里谷の所に、高島屋から

グッチが欲しいといってきて、小売の茂里谷は代理店機能も果すようになり、

デパートのショップ・イン・ショップの展開が始まる,ルイヴィトン。高級舶来ブランドビ

ジネスは、不況にも強く、地方にも広がっていくことになる。グッチの店舗

開設は最盛期には30店を数えた。茂里谷は、その余力を新商品の開拓に注

ぎ、少し若い層向けのセリーヌ、さらにはトラサルディやエトロへと商売を広

げる,ルイヴィトン新作。F1のレースや軽井沢のテニス・トーナメントにかかわったりする昭和56(1981)年、黒船がやってきた。アングロサクソンのビジネス感

覚をファッション業界に持ち込んだ人物が現れた。ニューヨークで経営コン

サルタントをしていた服部里次郎氏(小説ではこの名前だが、秦郷次郎(きょ

うじろう)氏)が、ルイ・ヴィトン・ジャパンを設立、古くからの日本の問屋

や代理店など中間業者を全てカットして、ダイレクトのビジネスを始めた。茂

里谷と同じ並木通りに、その一号店が出来た。やがてグッチも現地独立法人

設立の道を選択、茂里谷は44億円を超える商権を失う。エルメスのジャパ

ンが、茂里谷の店から200メートルほどのところに店の何倍ものビルを建てる

と聞いて、茂里谷は決心する。平成12(2000)年秋、長男とともにパリの

エルメス本社に商権を返還しに行くグッチもエルメスも残してやれなくて「すまないな」と言う父に、息子は、

父からいつも聞かされていた言葉を返す、「糸みたいに痩せた二十六夜の月を見

たら、闇夜になることは覚悟しろ。だけど心配なんかしなくていい。その翌日

から、月はまた満ち始める」

うちの親父も、いつも同じようなことを言っていたのを、思い出す。
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